シンポジウム当日の私の発言も中庸さにつながるものでした。母と子のやりきれないくらい「大人げのない」ふるまいには、むしろ明快な秩序が見られました。とはいえ、完全に不確定なふるまいも「大人げ」があるとは思えません。ゆらぎの全く存在しない秩序世界でもなく、かといって不確定すぎるカオスでもない、その中間領域で自己組織的に創発されるが「大人げ」のあるふるまいだ、と述べたのでした。
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図1 挿入
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図1は、複雑系研究で有名なサンタフェ研究所から入手したシミュレーション・プログラムの結果です。上段は、系が秩序状態にあるときのふるまいです。無秩序さ(エントロピー)が低く、しかも系のふるまいが一様であること(分散が低いこと)が示されています。これに対して、下段はカオス系のふるまいで、高エントロピーと、やはりふるまいの一様さ(低分散)が特徴です。サンタフェ研究所の研究員たちは、秩序とカオスの間で、系が独特のとても美しいふるまい(高分散)をかいま見せる瞬間があることを発見し、その瞬間を「カオスの縁」と名づけました。中段が、その際の系(複雑系)のふるまいです。秩序のなかにゆらぎを見るような、ゆらぎのなかに秩序を見るような、危ういバランスが感じられます。フィッシャーのだまし絵の世界です。しかも、そのふるまいが、とても単純な内発的なルールによって描かれているところに妙味があります。内発的な、そしてシンプルなルールによって系が律されながら、とても豊かなふるまいが創発される。カオスの縁は「大人」のメタファーなのです。
連帯する大人像
「フリーク」も「中庸」も、内発的(確信犯的)な自律戦略ではある。けれども、両者には明快な違いがある。そのことを整理するには、吉岡忍さんの「公共空間」の議論が参考になります。公共空間の存立は、身内を離れて、未知なる他者との間に連帯や協調を培えるかにかかっている。吉岡さんの議論には、大人ということばに、もう一つのイメージの対立軸があることを示唆します。「連帯や協調」対「非連帯や自分本位」という対立軸です。この2本目の対立軸を使えば、「フリーク」と「中庸な大人」という戦略の違いが明快になります(表1参照)。
表1は、大人を考えるときに、縦軸として「外的規範への同調」か「内発的自律」か、を区別しています。一方、横軸では「連帯・協調」か「非連帯・自分本位」か、を分けています。そうすると、「フリーク」は「内発的自律」に基づく「非連帯・自分本位」戦略であって、「内発的自律」と「連帯・協調」に基づく「大人」戦略とは、区別されます。
表1:大人を規定する自律と連帯の二軸
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連帯・協調 |
非連帯・自分本位 |
外的規範への同調 |
共同体への帰属・「バリバリがんばる族」・タテマエ主義 |
わがまま |
内発的自律 |
自律に根ざした連帯・「そこそこ」・美的な生き方・市民社会の市民像・「大人」 |
確信犯的ホンネ主義・フリーク |
身内への執着から脱して、未知の他者でもとりあえず信頼してみる勇気を持つ。そして、他者との連帯や協調を模索するのが大人の生き方です。しかも、それは自律的で、中庸(そこそこ)さを旨とする自己決定原理に根ざしている。自律と連帯という二つの軸を用いることで大人のイメージが、このように明快になります。
市民としての大人像
本書の第一部は、関西学院大学で開かれた公開シンポジウムの模様を収録したものです。その関西学院大学は阪神大震災で、十五名の学生をふくむ六十四人の学校関係者が犠牲となりました。震災は、確かに私たちから多くのものを奪いました。けれども、その震災を期に新たに生まれたものもあります。震災のあった一月から三月の末までで百三十万人にも上ると推定される多くのボランティアたちの動きがそれです。関西学院でも、救援ボランティア委員会が組織され、三月末までに延べ七千五百名をこえる学生たちが救援ボランティアとして活動しました。
その当時、救援ボランティアの学生たちの顔は活き活きと輝いていました。ボランティアの組織化やマネジメントに、当初から深く関わっていた私は、その最初の一ヶ月間をふりかえって、「精神の解放区が関西学院救援ボランティア委員会に現出した」と書いているほどです。
何が学生たちを突き動かしたのでしょうか。ボランティアの受付にやってくる学生たちのほとんどの答えは、「これだけたくさんの人達が亡くなっているのに、家でこたつに入ってテレビなんか見ていられない」というものでした。それは、被災者に対する内発的な共感に基づく行動でした。
ほとんどが初めてのボランティア。その彼らに受付で話したのは、「なんでもやりますから言ってください」とは決して現場で言うな、ということでした。私たちの普段の生活は、「言われたらする」世界です。でもそれは「言われないとしない」ということと同じです。「言われなくてもする」のがボランティア。でも、始めたら続けることが大切。それだけを言って学生たちを送り出しました。被災地では「自己完結的ボランティア」という言葉さえ後に生まれました。自らの行動は自らが律する。ボランティアは基本的に誰かの世話にはならない。それが被災地でボランティアする時の鉄則になっていきました。
活動を繰り返しているうちに、学生たちの顔はさらに一層真剣さを増していきました。ピーク時には、三交代の二十四時間体制で十四の避難所を、学生たちはサポートしていました。そして気がつくと、彼らは避難所という小社会を運営する当事者になっていたのです。避難者同士のトラブルの裁定や生活のルールづくり、子どもたちのグループづくりなどに直接関わるようになっていました。社会のしくみやきまりなど、自分から縁遠いところで決まっているのだと感じていた学生たちは、避難所運営に参画するなかで、当事者意識を芽生えさせていきました。「きまりやしくみといっても、人間が作ったものだ。ならば、同じ人間の手で変えていくことができる。」これが、彼らの生な実感でした。
学生たちは、被災者への内発的な共感の感情に根ざしてアクションを起こしました。同時に避難所の運営に参画するなかで、会議や交渉を通じて関係者と協調して物事を解決する体験を深めました。内発的な共感や自律意識に根ざした連帯や協調を模索し、その過程で一回りも二回りも大人になっていったのです。
震災からの数週間、被災地のインフラは麻痺し、米国の西部開拓時代さながらの様相を呈しました。その阪神間で、内発的な自律意識をもちながら他者と連帯することは、ボランティアの学生だけに限らず、多くの被災者にも共通の体験となりました。自分のことは自分で決める。自分のまわりの困ったことは、行政に頼るのではなく、みんなで相談して解決する。被災地という辺境を自分だけで生き抜くことは大変でした。その時、人と人とのつながりが生き延びることをいかにたやすくするかを人々は学んだのです。
図4:カオス制御の概念 挿入
震災は市民力を高めた
表3は、自律、連帯それぞれについて、現在と震災前の自己評価をしてもらい、それぞれの得点の差を調べた結果です。図5と図6は、その結果を棒グラフ(棒上部のひげは標準誤差)にして表したものです。それによると、自律・連帯のそれぞれについて、震災前後の得点差には、統計的に意味のある違いが認められました。阪神間の市民は、被災後の混乱の中で自律と連帯に根ざした市民性に目覚め、この地域の市民力は確実に高まっていたのです。
表3:震災前後の市民性(自律と連帯)の平均値の差の検定
項目 |
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得点差の平均 |
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N=139 *P <.05(両側検定) *** P<.005 (両側検定)
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図5・図6挿入
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震災からもうすぐ五年になろうとしています。最近被災地では、今までの震災復興施策の検証作業が盛んに行われ始めています。例えば神戸市は、九九年の夏に、震災復興の検証を市民自らの手で進めるワークショップ形式の草の根検証会議を市内各地で開催しました。一般神戸市民と併せて、今でも被災地で支援に走り回っているNPO団体のリーダーとの草の根検証ワークショップも何度か開かれ、その会合の一つには私も参加しました。その時に、あるリーダーが自分たちの支援活動とは、「あんた(被災者)が、ちゃんとできるようになるために、アタシらが手伝ってんねん」と総括してくれたことが、とても鮮明な印象として残っています。
「あんたがちゃんとできるようになる」という明快なイメージの共有が、「わたしは、ボランティアとして何をするのか」に確信と力を与える。しかも、その自律イメージを両者が共有することによって、支援者と被災者の間に対等で相互的なつながり(連帯のパートナーシップ)が生まれる。市民が当たり前にそんなことを話しあう阪神間の市民文化に、私は改めて脱帽させられました。
【参考文献】
Comfort, L.K. (1999). Shared Risk: Complex Systems in Seismic Response. NY: Pergamon.
林春男・立木茂雄(1999).「震災後の居住地の変化と暮らしの実情に関する調査」調査結果報告書(要約編)京都大学防災研究所
鎌田茂雄著(1997).『菜根譚 中国の人生訓に学ぶ』NHKライブラリー 50,日本放送出版協会.
立木茂雄(1995)「問題維持連鎖とシステム家族療法」『数理科学−特集生命とカオス』No. 381, 60-66.
立木茂雄編著(1997).『ボランティアと市民社会−公共性は市民が紡ぎ出す』晃洋書房
山岸俊男(1998)『信頼の構造−こころと社会の進化ゲーム』東京大学出版会.
吉岡忍(1999)「友が丘中学少年Aが残した傷」『文芸春秋』1999年8月号, 300-312.
C)
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しあわせなことが立て続けに起こると、
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1.
ずっとこの幸運が続いて欲しいと思う。
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2.
この幸運に酔ってはいけないと、心を引き締める*。
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3.
上のどちらとも言えない。
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K)
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欲しいものについて
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1.人から欲ばりと言われようとも、欲しい物は手に入れる方だ。
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2.たとえ欲しいものがあっても、他人からひんしゅくを買うような行いは、つつしむ方だ*。
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3.上のどちらでもない。
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O)
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街を歩いていて不快な目にあったら、
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1.
イライラせずに気持ちを抑えようとする方だ*。
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2.
はっきりと注意する方だ。
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3.
上のどちらとも言えない。
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T)
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自分の欲求について、
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1.
自分の欲求には忠実であるべきだ。
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2.
自分の欲求をかなえるときも、バランス感覚が大切だ*。
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3.
上のどちらとも言えない。
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U)
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身のまわりのことには、
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1.
無頓着な方だ。
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2.
ある程度気を使う方だ*。
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3.
上のどちらとも言えない。
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D)
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わたしは、
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1.
いつ子どもに見られても、誇れる自分がある*。
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2.
私の日頃の行いは、できれば子どもに見せたくない。
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3.
上のどちらとも言えない。
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I)
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地域のみんなが困っていることがある時、
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1.みんなが困っていることなら、みんなで考えることで解決の糸口が見えると思う*。
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2.みんなが困っていることでも、誰かがうまく解決してくれると思う。
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3.上のどちらとも言えない。
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L)
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自分の行いの結果、
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1.
何かまずいことが起こったら、他人のせいにする方だ。
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2.
何かまずいことが起こったら、その責任は自分で負う方だ*。
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3.
上のどちらとも言えない。
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M)
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講演会や地域の集まりに参加したとき、
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1.
友だちとついおしゃべりに夢中になって、話しを聞かないことがある。
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2.
話し手に耳を傾けるのが礼儀だと思う*。
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3.
上のどちらとも言えない。
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Q)
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わたしは、
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1.
用事があっても、近所の人には、自分から話しかけたりはしない方だ。
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2.
用事があれば、近所の人にも、自分からきっかけを作って話しかける方だ*。
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3.
上のどちらとも言えない。
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