「PTSD 心的外傷後ストレス障害」(原稿了97/07/28)(99/1/17日本語サイトをリンクに追加)(03/4/9日本語サイトのアドレス変更)

(『実践精神療法事典』所収、1998年3月刊行予定 朝倉書店)


PTSDと外傷性精神障害

阪神・淡路大震災以後、PTSDという4文字が急速にクローズアップされた。Post-Traumatic Stress Disorder(心的外傷後ストレス障害)とは、戦争や大災害など生命の脅威にさらされた人に、のちのち起こってくるストレス障害である。心的外傷体験は、よくうつ、不安障害、人格乖離、乖離的同一性障害(いわゆる多重人格)や心身症状の起因ともなる。そのなかでもPTSDはもっとも純粋の外傷性精神障害である。なぜなら、精神科疾患の直接の病因を個人の精神内界の脆弱さにではなく、外傷事態という外部世界にのみ求めているからである。PTSDは、1980年に改訂されたDSM−IIIから、独立した精神科疾患となった。ベトナム帰還兵の戦争神経症に対する保険診療の必要性が社会的に高まったことが契機となり、ホロウィッツ[M.J. Horowitz]のストレス反応症候群に関する先行研究を下敷きに概念化された。

1994年に発表されたDSM−IVは、PTSDの診断基準として以下の5領域をあげている。A.生命に危険をもたらすような予測不能・コントロール不能な災害体験、B.外傷的な出来事の再体験反応、C.外傷的な出来事の持続的否認や心的マヒ症状、D.身体的覚醒亢進、E.上記の症状が1ヶ月以上続くこと、F.心理的苦痛や社会的・職業的機能障害の持続、の以上5点である。

PTSD患者は、往々にして感情障害、気分変調、アルコールや薬物依存、不安障害、人格障害などとも診断される。このような診断名がついた患者のなかに含まれるPTSD患者層も考慮にいれた全米規模の罹患率調査(1996年)によれば、PTSD発症率は通常の災害事故の場合に男性で5%、女性で10%であると推定されている。しかしながらレイプなどの性的犯罪被害者で、その後事情聴取や喚問など、非受容的・非治療的な環境で体験の陳述を強制された場合には、出現頻度が23%にも高まったという。また、災害事態の予測不能性とコントロール不能性が極度に高まった場合(例えば、戦争、強制収容所、拷問、人質など)、ほとんどの被災者に発症するという報告もある。

PTSD発症のメカニズムについては、心理社会的・疫学的・神経生理学的アプローチがある。心理社会的アプローチは、ホロウィッツ[M.J. Horowitz]やフィグレイ[C.R. Figley]らに代表されるもので、セリエ[H. Selye]のストレス学説やラザルス[R. Lazarus]のストレス・コーピング・再評価学説などに準拠し、PTSD症状を「異常な事態に対する身体の正常な反応」と見なす。1970年代後半から顕在化し始めたベトナム帰還兵の適応障害をアメリカ社会の中でノーマライズするうえで心理社会的陣営が果たした役割は大きい。しかし、1980年代以降の疫学的研究により、PTSDが必ずしも生命の脅威にさらされたものすべてに生じるわけではなく、とりわけ3年以上も症状が持続する慢性PTSDはきわめて低率であることが明らかになった。さらに1990年代には、PTSD特有の感覚の鋭敏化現象が、「なぜある特定の人たちだけに生じるのか」を大脳生理学的に解明する研究が盛んになった。疫学的・神経生理学的陣営は、犯罪や事故、災害などの民事訴訟において、補償額をつりあげるための安易な口実としてPTSDが利用されかねない現実に歯止めをかける役割を果たしている。

わが国では、久留一郎の先駆的な取り組みや、雲仙普賢岳・北海道南西沖地震での実践が先行的研究として知られている。しかし、実践的な研究が本格化したのは阪神・淡路大震災以降である。その成果としてストレスケアモデルが生まれ、1997年初夏に起こった須磨区児童殺害事件では、同区内の小学校における児童保護者やケア提供者に対するディブリーフィング活動として組織的な活用が試みられた。

心的外傷後ストレス支援の原則

大災害に出合ったものが全員PTSDになるわけではない。が、被災者のほぼ全員に、体験・否認あるいは心的マヒ・覚醒亢進という災害特有の心的外傷後ストレス反応が起こる。被災者のなかには、被災体験から1ヶ月以上たっても、再体験と否認や心的マヒという二相症状を交互に繰り返し、さらに覚醒亢進が持続するために、正常な社会生活に支障をきたす者が現れる。これが精神科疾患としてのPTSDであるが、対策は予防・教育が基本である。オチバーグ[F. M. Ochberg]は以下の3原則をあげている。

(1)症状のノーマライゼーションの原則。心的外傷後に生じる特有のストレス症状により、災害被害者は「自分は普通ではなくなった」という強い不安感をもつ。この場合支援者は「生命が脅かされるほどショッキングな事件に遭遇したときに、生物としてのヒトはもっとも原始的な適応反応を示す。それが今あなたに起こっていることです。こうしたストレス反応のおかげで、人類は現在まで種を保存することができたのです」と伝える。ストレス反応が今ここで生じている事実こそ、正常な癒やしのプロセスがすでに始まっている証拠であるむねを伝え、現在の状況の意味や今後の展開について見通しを与える。

(2)協働とエンパワーメントの原則。心的外傷後ストレスからの回復の過程で被災者は、再体験、回避、覚醒亢進、罪障感といった特有の反応を示す。この最良の癒やし手は、被災者自らであり、さらには被災者と日常接する非専門的な支援者たちである。一方、専門家は症状を明快に記述し、説明し、癒やしへと至る時間の流れのなかに現在を位置づける。両者はそれぞれの役割を自覚し、被災者自らの力を高め、尊厳や有能感を回復するという共通の課題のために協働するのである。

(3)個別化の原則。心的外傷から回復する過程は個人により千差万別であることをあらかじめ知っておく。と同時に、他者との違いは価値あることとして認める態度が必要である。支援者は、一般的な方向や起こしやすい間違いについては意識するものの、被災者個人の固有の道筋をとともに歩みながら、常に新しい小径を発見する姿勢が大切である。

さまざまなアプローチ

心的外傷を負ったものは、自らを病んだものと見なす専門治療的関係を望まない。林春男のグループは、阪神・淡路大震災後に行った大規模サンプリング調査の中で、被災地域の住民に、悩みや心配事はどのような人に相談したのかをたずねた。その結果、精神科医やカウンセラーに相談したと答えた住民は、回答者の3%程度であった。大多数の被災者は、家族、親せき、友人といった支援者によって自然に悩みが受け止められていた。

支援者と被災者との関係は、個人の精神内界の限界や病理性に目を向ける医師・患者型のセラピー(カウンセリング)モデルではなく、被災者の自我の健康な部分に依拠する協働型のストレスケアモデルに基づくべきである。ストレスケアの代表的な技法がディブリーフィング(Debriefing)である。ディブリーフィングは個人でも小集団でも実施できるが、受容的・共感的な場のなかで事実・思考・感情と順をおって体験を聴取し、続けてストレスマネジメントをテーマとした心理教育を行う。ディブリーフィングの目的は、自身の尊厳や世界に対する信頼や安全感を失った被災者が、(1)症状をノーマライズし、(2)内外の対処資源に気づき、状況に対して打てる手だてがあるとエンパワーし、(3)それぞれの道筋を通りながら状況を意味あるものと再評価し、見通しを持てるようにすることにある。

 被災者がエンパワーできるストレス対処資源として、イスラエルの災害心理学者レハドとコーヘン[M. Lehad & A. Cohen]は、6つの領域を想定し、それぞれの頭文字をとってBASIC−Phモデルと名付けた。心的外傷後ストレス反応や障害へのさまざまな支援法は、これら6つの領域のどこをより重視するかによって分類することが可能である。

(1)信念(Belief)。広島の被爆者やホロコーストの生存者への面接調査からロバート・リフトン[R. Lifton]は、災害被災者は自らの被災体験の意味について実存的な問いを発することを発見した。自らもホロコースト体験者であるビクトール・フランクル[V. Frankl]は、実存的な意味の希求にもがく生存者に向けてこう語っている。「私たちが人生に何を求めるのか、それは大した問題ではない。むしろ人生が私たちに何を求めるか、それが問題なのです。人生の意味について考えるのは止めよう。その代わりに、毎日、毎時間、人生から絶えず問われている存在として自らを考えることにしよう。生きるということが究極的に意味するのは、人生が私たちに何を求めているのかについて正しい答えを見つけ、人生が私たち一人一人に対して課し続ける課題を満たしてゆく、そのことに責任を取ることなのです。」(Frankl, 1959, pp.121-122)この言葉は、信念や被災体験の実存的な意味づけが被災者をエンパワーすることを雄弁に物語っている。

(2)感情(Affect)。非指示的・受容的・許容的な雰囲気の中で、内面の感情を表出することにより被災者はエンパワーされる。支援者は、被災者の感情が妥当であり、自然のものであると保証する姿勢が求められる。この場合に支援者に求められるのはロジャース[C. Rogers]流の来談者中心的なカウンセリング・マインドである。

(3)社会的サポート(Social Support)。心的外傷後ストレスに対して、被災者は家族や親せき、知人・友人の支援ネットワークを活用する。これらとの密接なつながりによって自らを守ろうとするのである。先述の林春男らの調査が示すように、阪神・淡路大震災では、この資源性がほとんどの被災者によって活用されていた。社会的ネットワークの活性化のためにはソーシャルワーク的介入が有効である。

(4)想像力(Imagination)。ストレスが高じたときに、楽しかった旅行の風景をイメージしたり、音楽や読書に没頭したり、遊びやユーモアによりエンパワーされる被災者も多い。阪神・淡路大震災は多くの被災者自らの手になる音楽や文学、絵画作品を生んだ。これらは、想像力を羽ばたかせるアートの持つ癒やしの力を物語るものである。

(5)認知(Cognition)。現在の状況に対する見通しや打てる手だてに関する情報により、被災者のストレスは低減される。心理教育的なアプローチが重視するのが、この被災者の認知的側面である。ディブリーフィング活動にくわえて、マスメディアでの広報やパンフレットなども貴重なストレス対処資源となる。

(6)身体・生理反応(Physical)。適度な運動や入浴によりリラクセーションが得られる。また、仕事や家事に打ち込むこともストレスの緩和策である。あるいは、栄養指導やアルコール制限なども有効な身体・生理レベルの対処策である。一方、系統的脱感作(Systematic Desensitization)やEMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing)などの技法もこのカテゴリーに入れられる。

関連サイト

国内のPTSD体験者が発信するPTSD(外傷後ストレス障害)に関する日本語情報サイト(http://homepage2.nifty.com/edu_psy/ptsd/ptsdexptop.htm)

在米のPTSD体験者が発信する犯罪によるPTSDに関する日本語情報サイト(http://www.angelfire.com/in/ptsdinfo/)

David Baldwin's Trauma Information Pages (http://www.trauma-pages.com )

Frank M. Ochberg(1991) Posttraumatic Therapy (http://www.sourcemaine.com/gift/trauma.html)

National Center for Post-Traumatic Stress Disorder(http://www.dartmouth.edu/dms/ptsd/

International Society for Traumatic Stress Studies (http://www.istss.com/)