アルコール問題の解決に向けて
(被災者復興支援会議ニュースレター『復興かわら版』1998年7月版所収)

被災者復興支援会議メンバー 立木茂雄


1) 震災から3年目の現実が浮かび上がらせた問題〜アルコール依存症者たち〜

 仮設住宅の健康問題のうち、中高年の単身男性の中でとりわけ目立つのがアルコールの問題である。何人かの研究者の調査によると、いわゆる仮設での孤独死者の中で、もっとも多い層は、50代・60代の単身男性であり、しかもこれらの人たちの多くが肝障害で通院中であった。このことから孤独死の少なくとも30%がアルコール依存症ではないか、という推測もある。

 昨年10月に兵庫県が実施した仮設住宅や恒久住宅に住む被災者の健康調査でも、中高年単身者に重篤問題飲酒者が特化して現れている事実が浮かび上がった。アルコール依存症者が好んで口にするというワンカップタイプの清酒の売り上げを比較しても、中高年単身者が多く住むポートアイランド仮設住宅内の小売店では、他地域の同規模店舗の8.5倍という売上高であった。

 だが、しかしである。県の調査で重篤問題飲酒者と判定された住民は、仮設全体で7%。ところがこの数字は、一般住民のなかの男性重篤問題飲酒者の割合(5〜7%)と大差がない。さらに、重篤問題飲酒者が最も高率となる50代男性の場合(14.5%)でも、男性企業従業員を対象に行った過去の調査結果(14.4%)とまったく同水準であった。

 特定の店舗ではなく、阪神間全体での酒類の総売上について検討した国立精神神経センターの清水新二氏の研究によれば、震災後の阪神間における人口千人あたりのアルコール消費量は、震災後むしろ減少さえしているという。また、1996年11月末に神戸市が行った仮設住宅の健康調査でも、28.1%の人は飲酒量が増え、逆に23.8%の人では飲酒量が減り、さらに41.5%の人では飲酒量は変わらないという結果が出ている。

 仮設住宅での「孤独死」は、マスコミが好んで取り上げるテーマである。そしてその中のかなりの数がアルコール依存症者であったという事実から、仮設住宅でのアルコール依存症者の問題も、震災特有の現象として取り上げることが多い。けれども、震災によりアルコールの消費が全体として増えた、あるいはアルコール依存症者が被災地で激増したという主張には事実の裏付けがない。

 兵庫県でアルコール問題に長年取り組んできた精神科医の麻生克郎医師によると、アルコール依存症は病の進行とともに、離婚や失職などで人間関係が壊され、社会から孤立していく。そのような病である。仮設での孤独死のうち30%がアルコール依存症者であるのは事実かもしれない。しかし、孤独死は「アルコール依存症者にとっては比較的ありふれた最期」(麻生医師)であり、震災後の特殊な現実ではないのだ。

 仮設の内でも外でも、同じほど多くのアルコール依存症者が暮らし、そして亡くなっていく。仮設は、そのような阪神間のアルコール依存症者の現実を純粋濾過して見せているにすぎない。

 問題なのは、震災から3年後の仮設住宅の現実に光が当たるまで、アルコール依存症者の問題に社会の注意や関心が払われることが甚だ少なかったという事実なのだ。

2) アルコール症スクリーニング・テスト

 アルコール依存症とはどのような病気なのか。国立久里浜病院が作成したアルコール依存症のチェックリストを一度試していただきたい(久里浜式アルコール依存症スクリーニングテスト)。

 全14問の回答の総合点が2点以上なら、あなたは「きわめて問題が多く」、「重篤問題飲酒者」と判定される。アルコール依存症が充分に疑われるのである。この場合、自分の生活のスタイルを意識的に変えることが必要である。そして、もし自らの意志で改まらなければすぐに専門医に相談するべきである。アルコール依存症は「死に病」(生命予後の悪い病気)である。適切な対処を怠れば、死亡時の平均年齢は50歳前後という重篤な疾患なのである。また、総合点が0点から2点の人も要注意の「問題飲酒者」である。

 もしこれをお読みのあなたのKASTの点が「問題あり(2から0点)」と出たとしよう。恐らく、あなたの反応は「これくらいノーマルなことだ(でも少し気になるなぁ...)」というものだろう。たしかにKASTは専門家に相談の必要のありそうな人をふるいにかける道具にすぎない。しかし、である。「これくらいノーマルだ」という一面の気持ちと、アルコール依存症者の否認との間には、あまり質的な違いはない。ただ、アルコール依存症者は幾重にも折り重なった否認の衣を身にまとっている。「これ位のアルコールは誰でも飲む(だから別に行動を改める必要はない)」というのが第一の否認である。「飲み過ぎて失敗もある。手も震える。(けど病気ではない)」が第二の否認。「手が震えるのはアルコールが切れた時の離脱症状で、これは病気の兆候かもしれない。(でも酒さえ止めれば治る)」というさらなる否認もある。

 否認は依存症者だけなく、家族や職場、地域ぐるみで生じる。誤解や偏見のために、アルコール依存症であると認めることは、「人間性に問題がある」、「人生の落伍者である」と認めるのと同じだと思われているからである。そのために、私たちの社会はアルコール依存症者をほとんど手遅れになるまで適切なケアと結びつけないまま放置してきたのである。

3)どうすれば良いのか?

 アルコール問題には二つの側面がある。一つは本人や家族、周囲の「否認」であり、もう一つは関係者の「あきらめ感」である。本人や家族だけでなく援助者の側にもあきらめ感がある。なぜなら、援助者自身がアルコール依存症者の回復のイメージが持てない現実があるからである。現状では、手遅れになってからしか専門家は関わらない。そのため援助の効果は低く、医療や社会的コストも高価なものになる。

 こころのケアセンターに本年4月から配属されたアルコールソーシャルワーカーの上田知香氏は、アルコール依存症者と関わる関係者自身が「依存症者の回復のイメージ」を共有することの重要性を訴えている。適切な介入を出来るだけ早期に行うことで、病の進行を止め、断酒を続けることによって社会生活を維持できる。そのような実例を一例でも二例でも共有することによって現場の力量を高め、援助者同士の協働関係を築いてゆきたいと語ってくれた。

 専門家同士の協働の輪には是非とも地域の一般の医院や病院も加わってもらいたい。三重県高茶屋病院の猪野亜朗医師の調査によると、アルコール専門病棟に入院してくる患者の大半は、それまでに内科疾患(糖尿病や肝臓病など)で数回の入院歴をもっていた。問題飲酒行動が生じるなるだけ早い時期に意図的介入が行われるケアのネットワークにつなげる。そして出来るだけ初期の段階で「否認」をうち破り、「断酒という生き方を維持できる環境」と結びついていられるようにする。そのためには、内科医とアルコール専門医との連携が不可欠である。いどばたフォーラムの場では、神戸市東灘区での医師会の取り組みが報告された。このような動きを各地でさらに進める必要がある。

 マスコミがこの問題の解決に貢献できる側面も大きい。それはアルコール問題について正しい知識をもち啓発を支援するという側面である。しかし、マスコミには、被災者のアルコール依存症者の行動を「その人なりの人生の送り方(ライフスタイル)」だと「過剰に共感的にとらえ過ぎる」(麻生医師の言)ために、積極的な介入は「その人の置かれた無理もない現実を無視することではないか」、さらには「プライバシーへの不必要な干渉」(あるマスコミ当事者の言)になるのではないかと尻込みする姿勢が存在する。だが、このような事実を忘れないで欲しい。アルコール依存症は男性の場合、過剰飲酒から約10年で発症すると言われている。女性の場合には約5年である。何らかのアクションを起こす。それは、適正飲酒や休肝日のすすめかもしれないし、早期に専門医療と結びつけるような呼びかけかもしれない。そのことによって、もし放置すれば数年先には確実に死亡するアルコール依存症者の命を、未然に救うことができるのだ。そう心にとめて欲しい。

 アルコール問題に長年関わってきた体験から、麻生克郎医師が言う「ケアやサービスを受けることを拒否するアルコール依存症者本人に、訪問や指導、あるいは説得を個々ばらばらに繰り返すだけの活動」では治療が困難であり非効率であると言える。西川京子氏は、いどばたフォーラムの場でそれに応えて語った。「問題飲酒者と家族、そして関係する保健や福祉、医療の関係者が歩調を合わせて連携し、ある意図のもとに、ある方向に向けて、その人に変化をうながすネットワーク介入が必要なのだ」と。

 ネットワーク介入の試みは、神戸市西区で見られる。同区では、保健所・福祉事務所・心のケアセンター・垂水病院・アルコールソーシャルワーカー協会・断酒会(アルコール依存症者が断酒を維持するための自助組織)が協働し、「単身のアルコール依存症者と関係者の合同ミーティング(通称アルコールミーティング)」や「アルコール依存症教室」などを組織化させて実効を上げている。このようなネットワーク介入の取り組みを、仮設住宅や災害復興恒久住宅だけではなく、県内の各地で繰り広げてゆくことが必要なのだ。

 そのためにまずできることは何か。関係者間の調整や連携によって奏功した事例などの検討会を地域ごとに定期的に開きながら、アルコール問題での協働の輪を拡げてゆくことである。アルコール問題は一つの職種だけで対応できるものではない。アルコール依存症者、家族、そして複数の職種の専門家や自助グループの資源を有効に連携させて初めて効果を発揮する。ただし、そのためのマネジメントの労は誰かが責任をもって担わなければならない。アルコール問題への対策についてこのような共通理解を高めてゆくことが、まず何より必要だ。さらに、問題が深刻化する以前にアルコール専門医療とつなげる方策を組織化する。そして何より、アルコール問題に対する社会化された否認(これくらい誰でも飲むものだ...)について、啓発や広報を地域や学校、職場ぐるみで進めてゆく必要があるのだと考える。